東京高等裁判所 平成11年(ネ)4420号 判決
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人に対し、原判決別紙物件目録一ないし八記載の不動産について、平成一一年二月八日遺留分減殺を原因として、控訴人の持分二分の一とする所有権一部移転登記手続をせよ。
第二 事案の概要
一 本件は、控訴人が、亡妻がその所有の右記載の本件不動産等を被控訴人に遺贈して死亡したので、右遺贈の遺言無効を主張して前訴を提起し、その敗訴判決が確定した後に遺留分減殺の意思表示をして、本件不動産について遺留分減殺請求をした事案である。
二 前提事実(争いがないか、かっこ書きした証拠により認められる。)
次のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」の「二 事案の概要」1ないし3記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決三頁六行目の「相続人である」の次に「(甲九)」を加える。
2 同七行目の次に改行して次のとおり加える。
「4 控訴人は、後記のとおり平成九年六月一七日に前訴を提起し、平成一〇年一月二二日に請求棄却判決(同月一九日言渡し)の送達を受け、控訴したが、同年七月三〇日に控訴棄却され、更に上告受理の申立てをしたが、平成一一年二月五日に上告不受理決定がされ、いずれもそのころ送達を受けた。」
三 争点
1 控訴人の前訴請求に遺留分減殺の黙示の意思表示が含まれるか否か。
2 控訴人の遺留分減殺請求権が時効消滅したか否か(消滅時効期間の起算点)。
四 被控訴人の主張
原判決の「事実及び理由」の「二 事案の概要」5(一)ないし(五)記載のとおりであるから、これを引用する。なお、原判決四頁三行目の「受領した」の次及び同七行目の「送達を受けた」の次にそれぞれ「(争いがない。)」を加える。
五 控訴人の主張
原判決の「事実及び理由」の「二 事案の概要」6(一)ないし(四)記載のとおりであるから、これを引用する。
第三 当裁判所の判断
一 証拠(甲一〇、一四ないし一七)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
1 本件公正証書遺言は、乙野及び丙野二郎が証人として立ち会ってされたもので、その内容は、次のとおりであった。
(一) 被控訴人に、本件不動産、有価証券(遺言者が富士銀行平塚支店で使用中の貸金庫内に保管する東急株式、割引債券等有価証券の全部)を寄贈(遺贈)する。
(二) 遺言者が富士銀行平塚支店に有するすべての預金を払い戻して、宗教法人長遠山常楽寺に遺言者の生家丁野家の永代供養料として一〇〇〇万円を、遺言者が経営する医院の従業員五名に各一〇〇万円を遺贈する。
(三) 右(一)及び(二)に掲げたもの以外の遺産を換価その他処分すること並びに遺言者の遺体ないし遺骨の処理を遺言執行者に委ねる。
(四) 遺言執行者として乙野を指定する。
(五) 右(二)及び(三)の残余金で遺言執行の諸費用を支払い、残りは謝礼とし、遺言執行者が受け取って下さい。
2 控訴人は、当審で控訴人代理人を辞任した弁護人二名を代理人として前訴の提起、追行をしたところ、前訴第一審での控訴人の本件遺言の無効事由の主張は、遺言執行者である乙野に対する謝礼が高額であり、その実質は遺贈と解される、そうだとすれば、同人は受遺者というべきであるから、公正証書遺言の証人適格を欠き、本件遺言は公正証書遺言の有効要件を欠いているというものであった。これに対し、第一審判決は、右主張が控訴人の独自の見解であると指摘して、控訴人の請求を棄却した。
3 控訴人は、前訴控訴審において、本件遺言の無効事由として、本件公正証書は他人が花子になりすまして公証役場に出頭して作成されたものであるか、花子が騙され、又は意思能力、判断能力が欠けた状態で作成されたものであることを追加して主張したが、控訴審判決は、第一審判決の判断を維持し、右主張を認めるに足りる証拠はないと一蹴して、控訴を棄却した。
4 前訴の共同被告(被控訴人)であった乙野は、第一審及び控訴審各答弁書等において、前訴事件は遺留分減殺請求の問題として処理するのが妥当であるのに、控訴人が遺留分減殺請求をしないのは、遺産全部の取得を意図しているなどと主張したが、控訴人は、上告不受理決定がされるころまで遺留分減殺請求をしなかった。
二 以上の認定事実に基づき、争点について判断する。
1 争点1について
控訴人の前訴における請求、主張は、本件遺言の効力を全面的に否定しているものであり、仮定的、黙示的にも本件遺言を容認し、遺留分減殺の意思表示を含むものと認める余地はない。
2 争点2について
民法一〇四二条にいう「減殺すべき……遺贈があったことを知った時」とは、遺贈の事実及びこれが減殺できるものであることを知った時と解すべきであるから、遺留分権利者が遺贈の無効を信じて訴訟上抗争しているような場合は、遺贈の事実を知っただけで直ちに減殺できる遺贈があったことまでを知っていたものと断定することはできないというべきであるが、民法が遺留分減殺請求権につき特別の短期消滅時効を規定した趣旨に鑑みれば、遺留分権利者が訴訟上無効の主張をしさえすれば、それが根拠のない言いがかりにすぎない場合であっても時効は進行を始めないとするのは相当でないから、被相続人の財産のほとんど全部が遺贈されていて遺留分権利者が右事実を認識しているという場合においては、無効の主張について、一応、事実上及び法律上の根拠があって、遺留分権利者が右無効を信じているため遺留分減殺請求権を行使しなかったことがもっともと首肯し得る特段の事情が認められない限り、右遺贈が減殺することのできるものであることを知っていたものと推認するのが相当というべきである(前掲最判)。
これを本件についてみると、本件遺言の内容に照らせば、被相続人の主要な財産が遺贈されていて遺留分権利者である控訴人の遺留分を多大に侵害することが明らかであり、控訴人は、このことを認識していたため、本件遺言の効力を全面的に争ったものであるところ、前訴において、本件遺言の無効事由として、事実上も法律上も根拠が極めて薄弱な主張しかできなかったものであり、いずれも理由がないものとして裁判所により一蹴されているものということができる。そうすると、控訴人が本件遺言の無効を信じていたとしても、控訴人の独断にすぎないものというほかなく、しかも、控訴人には法律の専門家である弁護士が代理人として就いていたのであるから、控訴人において本件遺言の無効を信じているため遺留分減殺請求権を行使しなかったことがもっともと首肯し得る特段の事情は認められないというほかない。したがって、遅くとも、控訴人が前訴について請求棄却の第一審判決の送達を受けた日の翌日である平成一〇年一月二三日には、遺留分減殺請求権の消滅時効の進行が開始したというべきであり、同日から一年の経過により右時効が完成したと認めるのが相当である。
これに対し、控訴人は、被控訴人が消滅時効を援用することは信義則違反又は権利の濫用であると主張するが、被控訴人が時効を援用することが信義則に反し、又は権利の濫用に該当すると評価すべき基礎的事実を認めるに足りる証拠はなく、右主張は採用することができない。
三 よって、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官奥山興悦 裁判官杉山正己 裁判官沼田寛)